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数年前、日本における印刷史についての一連の研究のなかで、もっとも古い活字印刷物を発見した。純粋に現地人の統括*1におかれ、西紀1596年と同じ刊年を持ち*2、またいくつかの証拠から私は(活字を)当時、二と半世紀にわたり使ってきた朝鮮から導入されたと考えた。しかしながら、私はさまざまなヨーロッパの図書館に、すべて初期の年に属する、日本でイエズス会がローマン体活字によって印刷した、少なくとも5つの異なった書物*3があることをしらなかった。すなわち、(印刷の)技芸は、その国のひとびとが応用する数年ののちまで、日本の土壌で外国人によって本当にはならされてきた*4のである。その一方、日本での教会印刷所ではじめて日本語文字が止揚されたもっとも古い刊年の誌された書物は1598なのである。1594年の書簡には日本語で、日本語文字の祈祷文*5について言及されているが、これはおそらく木版*6によっている。そこまで有望なのではないが、すなわち、日本人は活版術の利を伝導から学んだので、朝鮮からではないというのは肯定的であるように思われる。
バールトリに、1590年6月21日にヴァリニャーノがヨーロッパから欧文活字の一群*7を持って日本に戻ったこと、その翌年にその新しい機械からうみだされた現存する最初の書物が印刷されたことがみえる。ここにあるリストのNo. 1にあるものである。
公正を期すために付け加えると*8、これらの本への最初の興味を与えてくれたのはテルノコンパンの「アジア並アフリカ書誌」であったが、M. レオン・パジェスの日本書誌は研究のうえに大いにたすかった。
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ひとまず重要なところを。このあとは謝辞が続きますが、固有名詞が多いのであとにします。この部分だけではあんまり意義がない気もしますが、本文のところは中世ラテン語や中世ポルトガル語などいりまじり、なかなか大変そうです。