築竹な日々 このページをアンテナに追加 RSSフィード

本の活字による分類は2005-04-09にあります。
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2005-09-03築地活版とは

築地活版(つきじかっぱん)とは、日本の活字販売会社である。明治初頭に創業し、昭和13年に廃業した。築地活版は通称で、廃業時は東京築地活版製造所といった。

歴史

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名前の変遷

明治2年の長崎製鉄所での研修の後、本木昌造がその私塾、崎陽新塾に活字製造所を作ったのは(略)である。その後東京大阪出張所を作り、1872年に東京に作ったものは平野活版と名乗った(1873年、長崎新塾出張活版製造所@神田佐久間町(府川(2000)))。(略)東京築地活版となったのは(略)である。

新街活版の創設

ギャンブルから授けられた活字や活版印刷の一式を元手に、

東京への移転

平野富二→本木小太郎→曲田成→野村宗十郎

号数活字の完成

改刻は暫時進められていたが、明治19年に新刻の広告が打たれた一号、三号、四号平型、六号のかなを始めにして、明治31年ごろにあった、五号のかなモデルチェンジかな書体はほぼ完成し、漢字も、明治30年代で大体の完成を見せた(小宮山(2000)、内田(2004))。

ポイント活字導入

廃業

築地体

01:13 | 築地体 - 築竹な日々 を含むブックマーク

築地体は、主に(略)。

彫り師に竹口芳五郎、竹口正太郎(庄太郎)、安藤末松の名が明らかになっているが、そのほかは不明である。正太郎は五号楷書を担当し、芳五郎は一号(細)系のかなを彫ったと見られている。安藤築地活版の斜陽に入社し、細字化を行った。

開発史

築地体は、明朝体を筆頭に、楷書やゴシック隷書体などをも保持する書体群である。筆頭たる明朝体は、大部分が上海の美華書館からの輸入で、

影響

日本明朝体書体の全てが、築地体に影響を受けているといってなんらの過言はない。その中でも特に築地体をアレンジした書体は、秀英舎の五号活字、讀賣新聞社の見出し明朝体(写研によって写植化されYSEM)、写研の石井明朝体と、OKL、OKS、モリサワの(略)、リョービの本明朝新かな、大日本スクリーン製造の游築五号、游築36ポ、字游工房の游築見出し明朝体、游築初号かななどである。

参考文献

01:21 | 参考文献 - 築竹な日々 を含むブックマーク

  1. 文化庁文化部国語課『明朝体活字字形一覧』、1998。
  2. 小宮山博史「明朝体日本への伝播と改刻」『本と活字の歴史事典』印刷史研究会編、柏書房、2000。

執筆メモ

00:51 | 執筆メモ - 築竹な日々 を含むブックマーク

号数活字の倍数関係の画像を作ってたら書けませんでした。

朗文堂から本を買うにも高くて手が出ません。

聚珍録はカタログ的なので、当るなら他の資料がいいのですが、手に入れてない。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40020691&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40019002&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=41019164&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0

先に本木昌造についてまとめてしまひました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%9C%A8%E6%98%8C%E9%80%A0

百科事典向きの文章ではないかもしれません……。よくわからん。

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